「自分好みに切り取られた世界」に生きる現代人たち

4/01/2017



Twitterの140文字では足りなかったので、ブログに書いてみる。個人的メモ。

いま、『グローバル・ジャーナリズム――国際スクープの舞台裏』という本を読んでいる。パナマ文書公開の舞台裏、新しい国際調査報道の取り組み、そして調査報道を拒む「日本の壁」など、現代の国際ジャーナリズムを知る上で、とても参考になる面白い内容がつまっている。





本書の「はじめに」で、すでに心動かされてしまったのだが、それはオバマ前大統領の任期最後のスピーチ(2017年1月)について言及されている箇所。
 
下記、オバマ前大統領のスピーチの一部をログミーより引用。

大多数の人々にとって、自分自身の殻に閉じこもって過ごすことのほうが、断然容易ではあります。近所、大学の構内、祈りの場所、ソーシャルメディアなど、我々と似たような人々、同じ政治的意見をもつ人々、我々の常識を覆すことなどない人々。
新しい情報を受け入れること、議論の相手も科学的、理論的な点において、正当な意見を持っているということ。これがなければ、我々はいつまでも噛み合わない議論を続け、共通点や妥協点を見つけることは不可能となります。


グローバル・ジャーナリズム』の著者である澤 康臣さんはオバマ前大統領のスピーチについて "人々はネット上で似た考えの人とだけつながり、賛成できる情報ばかりを集め、「いいね」と言い合うなかで一日を終えるようになっていないか。それは真剣な討論を多様な人々が担う民主主義を害するのではないか。そんな訴えである" (本書より)と補足する。

そして "「自分好みに切り取られた世界」で、意に沿う情報ばかりを選んで快適に過ごす私たちになってしまうのか" と続く。

* * *


せやねんなぁ〜。
きっと僕自身も「自分好みに切り取られた世界」で生きているだろうし、快適なインターネット生活を送ってしまっているんだよな。もちろん、それではいけないと思いつつ、快適な生活から抜け出すのは非常に難しい。

だからこそ、こういった話題でいつも僕が思うのは「ジャーナリズム」と「エンターテイメント」の出番なのでは、ということ。

真実はときにつまらない。ただの "情報" であって、"ストーリー" がない。
情報の受け手に依存してしまうデリバリーでは、この「自分好みに切り取られた世界」に入り込めない。

古くから大切な教訓や神話を語り部がストーリーとして伝承してきたように。
大切な「情報」は「ストーリー」にして伝えること、それが「自分好みに切り取られた世界」に生きる人々にデリバリーする上で重要なのではないだろうか。

そんな議論を珈琲や麦酒を飲みながら、誰かとしてみたいです。



Twitterやってます:@nuts612


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